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薬師丸ひろ子がデビューしたきっかけは?現在は結婚しているか子供もチェック

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映画にドラマ、歌手と幅広い分野で活躍を続ける薬師丸ひろ子さん。芸能界デビューしたのは中学一年生だった1978年と、早半世紀近く第一線で芸能活動をされていらっしゃいます!

同世代にとっては、「セーラー服と機関銃」の映画スターのイメージ、若い世代には「あまちゃん」の大女優役と、役柄も年齢とともに幅を広げて進化させている印象です。

いまや還暦に近い薬師丸ひろ子さんですが、中学1年生の時にどんなきっかけで芸能界に入ったのか、また、現在は結婚していて、子供はいるかについても調べてみました。

デビューのきっかけは偶然

他人がオーディションに応募?!

薬師丸ひろ子さんは、中学1年生だった1977年に映画『野性の証明』のオーディションをきっかけにデビューしています。実はこのオーディションに至る経緯がドラマのような展開で、なんと、オーディションへは薬師丸ひろ子さん本人ではなく、たまたま薬師丸ひろ子さんの写真を撮った人物が「勝手に」応募していたそうです!

かなり大胆なやり口ですね(^^;)

このオーディションは高倉健さんが演じる主人公の娘・長井頼子役ということで、求められていたのは8歳の少女役。薬師丸ひろ子さんは当時中学校1年生なので、身長も見た目も相当ギャップがあったはずです。

年齢も対象外で演技経験もないことから、当然落ちると思っていたと薬師丸ひろ子さんご自身も語っているのですが、それでもオーディション会場に出向いたのは興味本位の記念受験のような気持ちだったのかもしれません。

ちなみに1978年の映画公開当時の写真を発見しました!右は高倉健さん、左が中学校1年生の薬師丸ひろ子さんです。8歳の子供役というにはだいぶ大人びていますよね(^^;)

78年映画「野性の証明」製作発表に出席した高倉健さんと薬師丸 ...(出典:スポニチ)

ところが薬師丸ひろ子さんは1,224人の応募者の中から選ばれ、芸能界入りを果たします。この作品は大ヒットを収め、角川映画として初めて邦画年間興行ランキング1位(1978年)を獲得。薬師丸ひろ子さん自身は芸能界に未練はなく、この映画の後すぐに女優を辞めようと思っていたそうですが、次々に仕事のオファーが舞い込みます。

事務所に慰留されて仕事を続ける決意をしますが、本人の意に反して「野生の証明」では学校を50日以上休むことになったため、以後は学校を休む必要がないことを仕事の条件にされたそうです。

昔は土曜日も半日学校があったので、少し感覚が違うとは思いますが、さすがにこれだけ休むと学業に支障が出ますよね。これ以降の仕事の条件として出すほどなので、遅れを取り戻すために相当な苦労があったのかもしれません。

とはいえ超人気スターなので、仕事はてんこ盛り!撮影は夏休みなどの長期休暇や、学校が終わって夕方に現場入りし、翌日の1時間目の授業が始まるまでに学校に戻るという生活だったそうです。

朝6時ぐらいまで撮影を続けて、寝ずに学校に行ったこともあったということなので、もはや気合ですね!こうしてデビュー作以降は仕事で学校を休むことは一度もなかったそうです。

こうして「セーラー服と機関銃」のような社会現象を引き起こした大ヒットの主演を勤めながらも、高校・大学受験を控えた時期は休業するなどして、仕事と学業のバランスをとり、1988年に玉川大学英米文学科を卒業されています。

よく芸能活動が忙しすぎて、大学進学したものの中退という話は聞きますが、薬師丸ひろ子さんは現役のトップスターで卒業されたというのは本当にすごいと思います。きっとかげには大変な努力があったんでしょうね!

その後、1991年に玉置浩二さんとの結婚を機に一時休業されているので、中学生から10年近く走り続けた休息がようやくそこで取れたのかもしれません。

選ばれた決め手は?

薬師丸ひろ子さんがデビューするきっかけになったオーディションにはこんな逸話があります。実は年齢条件や演技経験のある候補者と接戦になった際、審査員だったつかこうへいさんからピンクレディーを歌って、というリクエストがあったものの、女優になる気がなかった薬師丸ひろ子さんはそれを断って歌わなかったそうです!

なんという肝の座った態度!ということで、角川事務所社長の角川春樹氏は結果発表時こそ非常に印象的な目が決め手となったと発言しているものの、後に朝日新聞のインタビュー薬師丸ひろ子さんの「嫌だ!」が気に入ったと語っています。

とはいえ、この角川社長自身が語る「みんなは反対したけど俺が推したんだ」という逸話は、他にもいろんな方から同じ話を言われたと薬師丸ひろ子さん自身は日経ビジネスでのインタビューで語っています(笑)「俺が才能を見出した」というのは有名人あるあるですね!誰の話が本当なのか、いまだによく分からないとというのがご本人談です。

結婚には慎重姿勢

最初の夫は玉置浩二さん

薬師丸ひろ子さんが大学在学中に歌手として1987年に発売したシングル『胸の振子』を作曲したのが最初の結婚相手となる玉置浩二さん。このことがきっかけで交際を開始し、1991年にマウイ島にある教会で挙式します。

玉置浩二さんは安全地帯というロックバンドのボーカルでデビューし、この時期はソロ活動や俳優としての活動へ移行するタイミング。人気歌手と映画スターという人気絶頂の2人の結婚は大きな話題になります。

結婚を機に薬師丸ひろ子さんは芸能活動を休止し、主婦業に専念します。玉置さんと薬師丸ひろ子さんのご両親と4人での同居という結婚生活でしたが、結婚7年目となる1998年6月5日に開かれた薬師丸ひろ子さんの誕生パーティーの席で玉置さんとの離婚を発表します。

誕生日パーティーに参加した人は相当驚いたでしょうね!「離婚式」というものが一時期話題になりましたがその走りではないでしょうか?今やネット上の「お知らせ」で済ませられることですが、お世話になった人へ直接自分の口から伝えたい、というのはお二人の誠実な気持ちの表れなんでしょうね。

現在の旦那さんや子供は?

玉置さんとの離婚原因は多忙によるすれ違いのほか、同居していた薬師丸ひろ子さんのご両親との不仲という噂も上がっていました。

薬師丸ひろ子さん自身は若かりし頃、自宅へファンが殺到したりして、家族が転居せざるを得なくなるなどした経験もあるからか、プライベートについてはほとんど口にしませんが、2015年にNHKのカメラマンとの事実婚が報じられています。

お相手は、薬師丸ひろ子が2001年に出演していたドラマ『コウノトリなぜ紅い』の撮影を担当したNHKカメラマンのA氏。薬師丸ひろ子さんの2歳年上と言います。交際期間はもう20年を超えていることになりますね!薬師丸ひろ子さんとは交際すぐから半同棲状態で、ご両親との仲も良好ということですが、なぜ結婚に至らないのでしょうか?

ご両親はA氏も同居していた東京の自宅から栃木県の那須の別荘地へ移住していて、コロナ禍の2020年6月には、その近所にA氏と共に薬師丸ひろ子さんも移住されたことを週刊誌が報じています。

もしかしたら、本来地味で芸能界は向いていないという薬師丸ひろ子さんの「静かに暮らしたい」という希望をA氏は尊重しているのかもしれませんね。

ご両親もかなり高齢になってから那須へ転居されていますが、玉置さんとの同居で娘とパートナーとの関係を壊してしまった責任を感じて、薬師丸ひろ子さんとA氏が二人で暮らせる環境を作ってあげたいという思いもあったのかもしれません。

そして、薬師丸ひろ子さんも人気絶頂時代に家族へ負担をかけたことに対する思いなどもあり、移住後足が不自由になったお母様のサポートなどで今も頻繁にご両親宅を訪ねているようです。

子供についても調べてみましたが、玉置浩二さん、A氏どちらの間にもお子さんはいらっしゃらないようです。母親役を演じることが多い印象なのでとても意外ですよね!ただ、実生活で母親になった経験がないからこそ、固定観念がなく、自由に母親役を演じられると雑誌のインタビューで語っていらっしゃいます。

まとめ

薬師丸ひろ子さんは中学1年生のデビューのきっかけはまさかの展開でしたが、その後活動の幅を広げ、今や大女優の地位を確固たるものにしていますよね。また、歌手としても40周年記念アルバムを発表し、2022年から全国ツアーが始まっています。このアルバムには玉置さん作曲の「胸の振り子」やカバー曲「コール」も収録されているので、別れても歌手として尊敬していらっしゃるんですね。

(出典:ビクターエンターテインメント)

歌に対する思いは強く、自分の手を離れて聴き手の記憶にある過去のヒット曲は、原曲のキーで歌い続けるというポリシーで今もボイストレーニングを欠かさないといいます。多くを語らなくても伝わる、そんな誠実な薬師丸ひろ子さんの姿勢が、今もファンを魅了しているんですね。

【まとめ】

  • 薬師丸ひろ子のデビューは、他人が勝手に応募したオーディションがきっかけ
  • オーディションで審査員から歌うよう指示されたのを断ったことが、逆に気に入られたという逸話がある
  • 薬師丸ひろ子は現在結婚していないものの20年来のパートナーと事実婚状態
  • 子供はいないが、だからこそ自由に母親役を演じることができている
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