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奈緒の幼い頃他界した父の死因は? 吉田拓郎との現在の関係はどうなる?

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人気女優の奈緒さんが、実は1970年代フォークシンガーとして一世を風靡した吉田拓郎さんの大ファンだと知ってびっくり!

奈緒さんは一見清楚でおとなしい印象ですが、ストーカーや娼婦役など幅広い役柄を演じることができる実力派女優。年齢差約50歳の二人の間に何があったのか?といった現在の関係について調べてみると、奈緒さんが幼い頃父親を亡くしたという話を耳にし、父の死因についても情報がないか合わせてチェックしてみました。

奈緒が女優を志したわけ

生い立ちと父の死因

奈緒さんは1995年2月10日福岡県生まれ。奈緒さんの父親は奈緒さんがまだ7か月の頃に他界したそうです。まだ7か月というのはようやくお座りができるくらいの小さな赤ちゃんですね。きっと父との思い出は写真でしか知ることができないと思うと切ないですね。

死因について調べてみましたが、情報は出ていませんでした。いずれにしても可愛い娘さんが生まれた矢先のことで、ご本人もきっと無念だったと思います。

お母様は夫を失ったショックと向き合う暇もなく、子供たちを育てていかなければという気持ちで頑張ってこられたんでしょうね。奈緒さんはお兄さんが一人いるそうですが、お母様は2人の子供を働きながら一人で育ててきたそうです。

幼稚園当時から「早く働きたい」と思っていたそうで、きっと働くお母さんの背中を見てそう感じていたのかしら?と思いきや、なんと「働いて家を買いたい」と思っていたそうです!可愛いですね(^^)

小さい頃、奈緒さんは大きい一軒家からマンションに引っ越したそう。大きなおうちが好きだった奈緒さんは、自分で家を買うためにおこずかいをためていたそうです。ところが車上荒らしにあい、車の中に置いてあった奈緒さんの貯金箱も盗まれてしまうという事件が!

今でも忘れられないショックな出来事だったとインタビューでも語っていますが、それを機にますます「早く働きたい!」と思ったそうです。(出典:週プレニュース

親が忙しかったり片親の場合、大概幼少期の思い出におじいちゃん、おばあちゃんも出てきたりするのですが、奈緒さんが公に語る思い出は主に母親との関係のみ。最初は大きな家に住んでいたり、車があったり、生活に困るようなことはなかったということが分かるので、お母様は一人でも二人の子供を養える稼ぎがあったと考えられますね。

女優を目指した理由

幼少期の理由はともかく「早く働きたい」という気持ちは持ち続けていたという奈緒さん。高校1年生の時に地元福岡の天神でスカウトをされたことをきっかけにモデルの仕事を始めます。

街中でスカウトされるほど、当時から美人で目立つ存在だったんですね。

母親からは芸能界入りを反対されたようですが、高校にしっかり通うことを条件に説得したそうです。母親からすると、不安定な芸能界に踏み込むよりも、勉強や奈緒さんが好きだった美術の大学に行ってほしいと思いがあったようです。もちろん、そんなお母様の気持ちも理解できますよね。

奈緒さんも最初は地元でモデルやレポーターの仕事をこなしていたものの、やはりお芝居をやってみたい、女優になりたいという決心をして単身上京します。

芸能活動はまだしも、地元を離れることに母親は大反対だったそうです。いまでこそ東京で母と二人暮らしの奈緒さんですが、当時は何の実績もなく、上京してしばらくは仕事もなく時間だけがある状態になってしまったそう。

そんな中で、たまたま目にした脚本家・野島伸司が総合監修を務めるアクターズスクール『ポーラスター東京アカデミー』が第一期生を募集しているという記事を読み、『本物の役者主義』という考えに共感した奈緒さんは初めてオーディションを受け、結果は見事「特待生入学」!!

あまりに話ができすぎている!と当時母親は「騙されているのではないか」と心配していたそう。今でこそ笑い話ですが、それほど、役者志望の人たちの集まるオーディションで奈緒さんは異彩を放っていたんですね。

1年ほどの演技の勉強を経て、朝ドラ『半分、青い』のオーディションを受験。ヒロインこそ逃したものの、ヒロインの親友役として抜擢されたことをきっかけに、女優としての転機を迎えます。朝ドラの出演者情報は極秘事項。発表されてすぐ連絡したのはお母さん。それを聞いて涙を流して喜んでくれたそうです。

吉田拓郎と奈緒の関係

きっかけ

奈緒さんは2022年1月1日のオールナイトニッポン出演時に『吉田拓郎オフ会』と銘打つほどの大ファン。ラジオ番組の中でも、吉田拓郎さんは「私の推しであり支え」と語っています。

とはいえ奈緒さんは1995年生まれとまだ20代。1970年にデビューした吉田拓郎さんのファンというのはあまりに意外ですよね。

なぜファンになったかのきっかけについてもラジオで語っていますが、奈緒さんのお母さんが吉田拓郎さんの大ファンで、小さいうちから当たり前のように吉田拓郎さんの音楽を聴きながら育っていたそうです。

お母さんは他にもキャンディーズの大ファンで、奈緒さんも同じく子供の頃から曲を聞いていたそう。そして大人になってからキャンディーズの楽曲を吉田拓郎さんが提供していることを知り、「好きと好きがつながった瞬間」が訪れたとラジオで語っていました。

それ以来自分でも吉田拓郎さんの曲を聞くようになったそうです。

自分で聞くようになり、子供の頃には分からなかった歌詞の意味をかみしめたりと、吉田拓郎さんは「神様、仏様、拓郎様」というほどの存在に。2019年には上京した母と一緒に初めて吉田拓郎さんのライブを見に行き、ステージに登場した時から号泣していたそうです(笑)

私にとってはとても意外だったのですが、上述のラジオ番組では吉田拓郎さんのファンという20代の方が何人もメッセージを寄せていて、びっくりしました。吉田拓郎さんご自身も「困ったお父さんお母さんに影響されたみたい」と若いファン層がいることをご自身も認識されているようです(^^)

2022年9月現在27歳の奈緒さんの母親世代というと、ちょうど50代くらいでしょうか。吉田拓郎さんの歌が思春期に流れていた世代ということであれば、納得かもしれません。私も確かに自分が高校生や大学生の時に聞いていた歌手や曲が今でも一番好きだったりしますし、私の小学生の娘はミスチルや甲本ヒロトさんをリスペクトしています(笑)

現在

奈緒さんは2020年にKinki Kidsの番組にゲスト出演した際、憧れの芸能人として吉田拓郎さんを挙げたことで一気に「拓郎推し」だということが知れ渡ります。

若い奈緒さんがファンだということに光一さんと剛さんも相当驚いた様子でしたが、そのご縁で吉田拓郎さんは奈緒さんを知り、自分のような70過ぎのおじさんをそんなふうに言ってくれて、こんなうれしいことはないと思ったそう。

吉田拓郎さんは2003年に肺がんを患い、2014年には咽頭がんの手術を受けています。この時は声がでなくなり、「もう歌えないと何度も思った」とインタビューで語っていましたが、2016年にはステージに復帰。

ただ、2020年以降のコロナ禍で思うように活動ができず、自身の病気のこともあり将来の活動の約束ができないという決意で、75歳を迎えた2021年をもって、コンサートなどのライブ活動から引退することを発表。

ちょうど最後のアルバムとなる「ah-面白かった」の構想中に奈緒さんのことを知り、チャーミングで個性的な人だから、今度のアルバムでジャケットのイメージガールとかしてもらったら面白いかなと起用を決めたそうです!

(出典:Amazon

なんという奇跡!

もしかしたら奈緒さんの父も吉田拓郎さんと同じ病を患っていたのかもしれない、と少し感じました。死因はあくまでも推測ですが、いずれにしても吉田拓郎さんに亡き父の面影を重ねていたかもしれませんね。

このアルバムジャケットの撮影で初めて対面した2人でしたが、さらに吉田拓郎さんの最後のTV出演となったKinki Kids「LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP」では「最後に会いたい人」としてオファーした一人として奈緒さんが出演しています。

奇跡って起こるんですね。

ゲスト出演し、TVで初めて歌声を披露しています。

6月29日に発売される最後のアルバム『ah―面白かった』で引退を示唆

まとめ

奈緒さんは子供の頃からお母さんと吉田拓郎さんの音楽に親しみ、ずっとファンだったと言いますが、幼いころに父を亡くし、死因は推測の域を出ませんが、亡き父と吉田拓郎さんの存在を重ねていたのかもしれませんね。

吉田拓郎さんのWikiページを見ると、日本の音楽史のみならず、多くのミュージシャンだけでなく著名人と交友関係を持ち、影響を与えたことが分かります。これだけ多くの人から愛されてやまない吉田拓郎さんは才能だけでなく、人としても素晴らしい姿勢の方だということが分かりますね。

奈緒さんの今後のご活躍を祈るとともに、吉田拓郎さんの引退後の新たなステージにエールを送りたいと思います。

【まとめ】

  • 奈緒は吉田拓郎の大ファン
  • ファンになったきっかけは母親の影響
  • 吉田拓郎最後のアルバムジャケットのモデルとして起用され、最後のTV出演でも共演が実現
  • 奈緒の父は生後7か月で他界しており死因までは不明

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