管理者のプロフィール

ライター。

2人の女の子の母。

自らも帰国子女、留学生、駐在員だった経験をちょいちょい挟みつつ、誰かに話したくなる雑談を発信しています。

日本語・英語・中国語のトリリンガル。

略歴

転勤族の家庭で育ち、11歳から16歳までの約5年間はアメリカで過ごす。日本の大学に進学し、在学中に中国へ語学留学。

大学卒業後はメーカーに就職。30代前半には駐在員として海外の子会社に3年間勤務。帰任後は日本でかなり激しめのワーママライフを送るものの、今度は夫の海外駐在に伴いサラリーマン生活にピリオド。

2020年コロナ発生のため、海外から母子のみ緊急帰国。

現在はフリーランスとして本業を抱えつつ、ライターとしても活動中。

ブログはちょっとした雑談ネタになるような話題を日々お届けしています。

私の話

中国とのつながり

私が中国とのご縁を持った最初はアメリカに住んでいた中学/高校生時代。仲良しの友人に台湾/香港系の友達が何人かいて、『中国語』の持つ面白い音感に興味をもっていました。

アメリカから日本に戻り、とあるきっかけで日本と中国の高校生の交流ということで中国に1週間派遣されたのが運命だったかも!その時回ったのは上海、南京、西安、北京。

かなり駆け足の1週間でしたが、その時感じられた熱気やパワー、戦争の爪痕の負の面など、全てが当時の私にとって強烈な体験になりました。

留学生時代

大学生の時、1年間休学して中国に語学留学しました。今でも「留学」と言えば欧米が当たり前の時代。なぜわざわざ発展途上国?なぜアジア圏?しかも中国大陸なんかに!?ということは当時からもよく言われました。

本当にしょうもない理由なのですが、ちょっとあこがれていた先輩が北京留学から戻ってきたところで、「私も○○さんみたいになりたい!」というミーハー心がきっかけで、気づいたら北京の空港に降り立っていました。

年齢がバレますが、私が北京に留学していたのは中国がWTO加盟やオリンピック誘致などで、本格的にグローバル化に向けて動き出した頃。目の前でいろいろなことが起こりました。昨日まであった野菜市場が翌日がれきの山になっていたり、町中で新しい道路やビルが埃を巻き上げながら作られてゆき、新しい町に生まれ変わっていく、そんな姿を肌で感じながら、貧しいながらもこれからの発展にみんな希望を持っていた時代でした。

駐在員として暮らした2度目の北京生活

会社に入ると、中国市場を担当する部署に配属されました。2000年代初頭は中国なんて、誰も見向きもしない弱小市場でしたが、ご存知の通り目を見張るような経済成長で消費が爆発的に拡大。現地の生産拠点も構え、中国マーケットの存在感は欧米と肩を並べるまでに成長していました。

毎月のように中国出張をしていましたが、2010年代初頭、いよいよ駐在員として北京の子会社に派遣されることになりました。今思えばこの時代が一番中国が自由で可能性に満ちた時代だったかもしれません。色々な国からの投資が入り、北京空港は世界中の都市とつながり、一昔前はワキ毛ボーボーですっぴんだった女の子たちもおしゃれになり、車も高級車が増えて、豊かになったことが肌で実感できるような時代でした。

巨大なマーケットを求めて、世界中の様々な文化や食、ファッションがもたらされてくる一方で、昔ながらの「老北京」と呼ばれるローカル文化が混沌と混ざり合い、両方が私の生活の一部として存在するとても刺激にあふれる毎日でした。

経済は右肩上がりで、規模も大きく注目度も高いこともあり、仕事も楽しく、中国人の同僚や日本人駐在員皆が、この国が持つ可能性を信じていました。

駐在員妻として暮らした3度目の北京

駐在から帰任してから、私は日本で子供を持ちワーママとして働いていましたが、今度は夫が海外駐在することに決まりました。こっちは「また北京かよー!」となりましたが、勝手知った楽しい思い出の場所でもあり、中国人の友人も沢山いたので古巣に戻る気持ちで、今度は子供たちも連れて北京に渡りました。

柔道家の谷亮子さんに倣っていうならば「留学生でペキン、駐在員でペキン、ママでペキン」というかんじでしょうか(笑)

母として暮らすことで全く違う視点から北京を見ることができました。今回はインターナショナルスクールに子供たちを入れたので、世界中の人と同じ学校で学ぶという貴重な体験は子供たちにも私にも、とても楽しい経験でした。小さすぎて忘れてしまうかもしれないけど、彼女たちの心の片隅にその記憶が残っていればいいなと思っています。

一方で生活は2010年台初頭と比べて、ITインフラが格段に充実したことで、キャッシュレス決済で生活すべてが完結し、タクシーや出前などのサービスも次々に登場し圧倒的に生活が便利になりました。色々な恩恵もある一方で、巧みに全ての情報を国家に吸い上げられている不気味さを味わうことになりました。

そしてコロナが勃発。

実はそれまでも度々ヤバイ伝染病患者が近所の○○病院にいるらしいという噂は何度も聞いたことありました。今回もいつものようにすぐに収まるだろうと思っていたのですが、その後の展開は皆さんご存知のとおりです。

趣味

趣味は旅行。(大学時代からバックパッカーで、これまで訪問した国は35か国)夢は「世界史を遡る」をテーマに子供と一緒に旅をすること。早くまた自由に旅行ができる日が来ますように…

マニアック旅TOP3

1) 冬のバイカル湖

バイカル湖にあるOlkhon島へ、氷上をランクルで爆走!

2) イスラエル・ヨルダン一人旅

テロリストの疑いで毎回荷物を全て開けられる…

3)まだ平和だった頃の新疆ウィグル自治区
(タジキスタン国境付近)

紛れもなく人も文化も中国じゃない場所でした。
平和で美しい風景だけは残っていると思うと胸が痛みます。

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